大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和56年(う)1560号 判決

原判示第五の罪は、被告人が昭和五五年一二月一二日午後三時ころ、高崎市中豊岡町七四番地先路上において、平田一洋から、覚せい剤結晶約〇・四五九グラムを無償で譲り受けた、というものである(以下「譲受けの罪」という)。一方、既に被告人が昭和五六年三月一三日に東京地方裁判所で懲役三年を言渡され、同月二八日確定した覚せい剤取締法違反の罪のうち、判示第二として認定判示されている事実は、被告人が昭和五五年一二月一二日、前橋市荒牧町六八九番地の自宅において、覚せい剤結晶〇・四五九グラムを所持した、というものである(以下「所持の罪」という)。

ところで関係証拠によれば、右の譲受けの罪と所持の罪との間には次のような関連が認められる。

被告人は、内妻と共に前橋市荒牧町の右自宅に居住していたが、昭和五五年一二月一二日昼頃、同じ暴力団組員で、当時高崎市の覚せい剤密売人川島義雄の許にいた平田一洋から、「ネタがいるなら射ち分位やるよ」との電話を受けた。当時手許に全く覚せい剤を持ちあわせていなかつた被告人は直ちにこれに応じ、内妻に普通乗用自動車を運転させて、平田から指定された場所である高崎市中豊岡町七四番地川島義雄宅隣の桜井珠算塾前の国道一八号線道路上に赴き、同日午後三時ころ、同所で平田から覚せい剤一パケ(原判決は訴因の限度で〇・四五九グラムと認定している)を受取り、これを注射器などを入れたビニールケースに納め、さらに右ケースをポロシヤツ左胸ポケツトにしまつた(本件の譲受けの罪)。そのあと内妻に車を運転させ、平田と共に約四〇分かかる前橋市西片貝町にある同人の友人宅に赴き、同所で、被告人は、前記パケを取り出して鋏を入れ、つまようじで二人分の覚せい剤結晶をかき出して水溶液を作り、これを平田と共に一回ずつ注射し、残りの覚せい剤は再び封をして前同様にしてシヤツ左胸ポケツトに納めた。その後、被告人は平田と別れ、内妻と共に前橋市内の食堂に寄り、そこで内妻が暫らく休んだこともあつて、同日午後七時ころになつて同市荒牧町の自宅に着き、直ちに犬にえさをやろうと玄関先に出たところを既に張込んでいた警察官に、別件の覚せい剤の譲り渡しの罪の容疑で通常逮捕されたが、その際シヤツの左胸ポケツト内にあつた前記の物件を発見され、その場で覚せい剤所持の現行犯として逮捕された(所持の罪)。そして、鑑定の結果、これが〇・四五九グラムの覚せい剤であつたことから、同量の覚せい剤の所持罪として他の罪と併せて東京地方裁判所に起訴され、前記の如く確定判決を受けたものである。

このように、既に確定判決を経た所持の罪にかかる覚せい剤は、原判示第五の譲受けの罪にかかるものと同一のものであり、その所持の態様にも差異のないことは所論のとおりである。

ところで、覚せい剤の譲受けとその直後の所持については、所論の如く両者が単に一罪を構成するに過ぎない場合があることは否定し難い。しかし本件においては、右の事実関係、ことに前記の譲受けと所持との時間的経過(約四時間)、場所的変動(高崎市内と前橋市内)、その過程において被告人と平田がそれぞれその一部を注射していること、などに着目するときは、右の所持は、社会通念上右の譲受行為に当然随伴する所持とみることはできず、覚せい剤取締法の法意に照しても、右の譲受行為とは別個独立の所持罪を構成し、両罪は併合罪の関係にあると解するのが相当である(最高裁判所昭和三一年一月一二日決定・刑集一〇巻一号四三頁参照)。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!